常楽さんの健康ブログ

健康について考えるブログです。

疲れた時にはショート・ナップ(短い昼寝)が効果大

今日は4月1日。桜の花も満開となり、やっと本格的な春の到来だ。このような気候になると体の60兆ともいわれる細胞も安心するのか昼食後などには眠くなったりする。健康の3要素として一般的にバランスの摂れた食事・適度の運動・十分な休養と云われている。どのくらいの睡眠が健康に良いのかについては7-8時間が最も良いとの研究報告がなされており、これよりも少なくても長くても健康には害なようだ。また、単に睡眠時間だけでなく、睡眠の質も重要となっている。特に高齢者になると、なかなか朝まで“ぐっすり”とはならず、浅い眠りがどうしても続くようになってしまう。

こうした時、昼寝は大変有効だ。しかしながら、昼寝には気をつけなければならない点が一つある。それは決してベッドの上で寝ないことだ。ベッドの上で寝ると深い眠りとなってしまい、夜になると、また寝られなくなってしまう、と云う悪循環に陥ってしまうからだ。最適な昼寝は15分程度と云われている。 短すぎるように思われるかもしれないが、15分でも脳を休めるとその後の活動にはかなり効果的な影響を与えることが出来る。私は通常昼寝はしないが、疲れた時などには椅子に座ったままで5分間ほど目を閉じることにしている。不思議なことに5分未満では効果がない。私の脳は5分が最低必要時間のようだ。眠りに入らなくても5分間目を閉じていれば、脳の疲れが消え去ってしまうので私にとって効果は絶大だ。

脳が受ける刺激の8割以上が視覚からの刺激と言われており、次に多いのが聴覚からの刺激で1割程度であるとの事である。このことからも目を閉じて視覚からの刺激をカットするだけでも大いに脳を休めることに繋がる事が理解できる。電車などに坐っている時などに周りを見渡したり、外の景色をぼんやり眺めたりしている場合には、目を閉じて脳を少しでも休めてあげることも脳のエネルギーを有効に活用する方法かもしれない。

世界の認知症患者数が2050年までに3倍増すると予測されることの意味

2月28日の読売新聞に「世界の認知症患者が2050年には現在の3倍増、1億3500万人になると予測されている」という衝撃的記事が載っていた。世界で最も早いスピードで超高齢社会に突き進んでいる日本も例外ではない。特別養護老人ホームへの待機高齢者が昨年52万人超となり、認知症による行方不明者数が年間1万人に達するなど深刻な状態だ。

こうした中、政府の対策だけでなく、認知症予防のためのさまざまな研究への取り組みが発表されてきている。私自身も今年古希を迎える年なのでこの問題は他人ごとではない。そうした思いで幾つかの論文に目を通しているが、やはり適度の運動は認知症予防に効果があるようだ。そして運動しながら頭を使うとさらに効果が大になると思われる。運動することで脳の血流が増え、血流が増えた状態で頭を使うことが認知症予防に効果が大きいようだ。

私は週2回太極拳を行っている。初心者の方は最初太極拳の動きを覚えるのに苦労しているようだが、そうした時、「今は大変な時ですが、脳は大変活性化しているのであきらめずに続けて下さい」と、何時も言っている。この脳の活性化は正に認知症予防にも効果があるのではないかと思っている。

「ご機嫌に、毎朝スッキリ、適度の運動」 は健康維持の3原則

表題の3原則は私が健康維持のために必要だと日頃から考えて実行していることである。

先ず①「ご機嫌に」とは日頃から出来るだけ笑顔でご機嫌にポジティブな思い(ポジティブ感情)を持って過ごす様に努力することである。ポジティブ感情が長寿と関係していることはアメリカで発表された有名な論文(修道女研究)からも明らかだ。さらに、「ご機嫌に」過ごすことの大切なことは免疫力の向上に繋がる事だ。私たちの体は外から入ってくるウイルスや細菌そしてがん細胞などを撃退するために免疫細胞が昼夜を問わずに働き続けてくれている。そして、この大切な免疫細胞を元気にすることが出来るのは私たちが「ご機嫌に」過ごすことなのだ。

②「毎朝スッキリ」とは朝食後間もなく「柔らか過ぎず、硬すぎず」の便のことだ。毎朝の便は体調の良し悪しの証である。「毎朝スッキリ」であれば腸内環境は善玉菌が優勢な環境の証なのだ。食物繊維や乳酸菌をしっかりと摂りバランス良い食生活をしていることを示している。また、腸は体の最大の免疫器官であるため、善玉菌が優勢な腸内環境を維持していると免疫細胞も元気に活躍してくれるのだ。

最後に③「適度の運動」とは自分の体力に合った無理のない運動を継続することだ。運動は体にとってストレスとなるが、適度の運動は「良いストレス」となる。ジョギングなども無理のない程度なら良いが、少しでも良いタイムを出そうと無理をすると「悪いストレス」となる。大切なことは無理をせずに楽しみながら運動することが大切と言える。こうした運動は免疫細胞も活性化するだけでなく、筋力の維持にもつながる。

さあ今日も元気で「ご機嫌に、毎朝スッキリ、適度の運動」に努めよう!!

健康寿命について

最近はマスコミなどでも「健康寿命」という言葉が良く聞かれるようになった。私はここ数年太極拳の健康効果について、いろいろな場で話をする機会が多くなったが、毎回「皆さんは健康寿命という言葉を聞かれたことがありますか?」と尋ねることにしている。数年前までは「はい」と答えた人はほとんどなかったが、最近は3-4割の人が「はい」と答えるようになった。

健康寿命とはもとより「自分の事は自分でできる自立した健康な状態の寿命のことである。現在、平均寿命と健康寿命との差は男性で9年強、女性で12年強といわれているが、この期間は誰かに介護を受けている期間と云うことになる。平均寿命が延びたといっても介護を受ける状態では本人の生活の質(QOL)も低くなってしまい、必ずしも喜ばしいことだけではあるまい。やはり、自分の事は自分でできるという健康寿命を如何に延伸するかということは、超高齢社会といわれる我が国においては焦眉な課題だろう。

因果関係‐なぜ私たちはこの永遠の命題を追い求め続けるのか

私たちは子供のころから「なぜ?」、「どうして?」を連発して親を困惑させてきた。そして大人になってからも、自分の体に生じた異変や自然現象の異変に対して「まぜ?」、「どうして?」と思うことがよくある。 これは何も好奇心の強い人に限ったことではない。

古来、私たちの先人たちはこうした様々な疑問に対して、体験を通してその回答を導き出している。そして多くの場合、それらが現代の科学によって正しいことが証明されている。  

曰く、「寝る子は良く育つ」 (成長ホルモンは睡眠時に多く分泌される) 

曰く、「三つ子の魂百まで」 (誕生後5-6歳までに遺伝子のオン・オフが決定される)

曰く、「笑う門には福来たる」 (笑うことで免疫細胞が活性化される) 等々

科学的に証明する術を持たなかった先代の人たちはどうしてこうした因果関係を把握することが出来たのか只、驚くばかりだ。そして体験を通じても解明できない現象に対しては、宗教にその回答を求めてきた。そして導き出したのが「因果の悟り」であり、「因果の道理」であり、「因果応報」など、である。

こうした因果関係の探求は先代の人たちだけに限ったことではない。私のような研究者の端くれを含めて世界中の研究者たちが様々な研究を行っているのは正に因果関係の探求に他ならない。しかしながら、どんなに科学が発達しても私たちの体や自然現象の異変に対して、すべての「因果関係」を解明することは出来ないだろう。それは、この無限の宇宙の大きさから比べれば私たちはあまりにも小さく無力な存在だからだ。

従って、「科学」と「宗教」は永遠に共存していくのだろう。

毎日健康に生きることができるのは60兆の細胞の働きのお陰

ミクロの決死圏」という映画を子供の頃に見たことがある。脳出血を起こした科学者をミクロ化した医療チームが脳の内部に潜入して治療するというSF映画だが、あの映画を見ると人間の体は正に小宇宙そのものだ。私たちの体は60兆個の細胞から成り立っているという。この小宇宙の60兆の住民が懸命に働いてくれるお陰で私たちは健康な生活が出来るといえる。

私は現在2か所で太極拳教室を毎週行っている。私たちの太極拳教室では練習の前後に「立禅」を数分間行う。「立禅」とは正に立ったままの禅で、目を半眼にして深い腹式呼吸を行う。私は後半の「立禅」の時に生徒の皆さんに「今日も皆さんと一緒に楽しく太極拳をすることが出来ました。これも私たちそれぞれの60兆の細胞が一生懸命働いてくれたお陰なので、皆さんもご自分の60兆の細胞に対して感謝の気持ちを持ってください。」と、話をしている。私はこうした感謝の気持ちは必ず60兆の細胞に伝わって、喜んでまた元気に働いてくれていると思っている。

遺伝子が弾丸を込め、生活習慣が引き金を引く

「遺伝子が弾丸を込め、生活習慣が引き金を引く」とは欧米で言われている格言である。確かに、私たちが受け継いできている遺伝子は人類がチンパンジーと別れておよそ600万年と言われており、その気も遠くなるような長い期間には病の元(弾丸)となるような遺伝子が含まれていることは理解できる。しかしながら、誰もが受け継いでいると考えられるこの病の元(弾丸)が暴発するにはある一定の条件がある。それは生活習慣という条件だ。弾丸が暴発するための条件とはどのようなものだろうか。

それは①暴飲・暴食、②運動不足、③寝不足などが考えられるが、そのほかにも④喫煙なども加えられる。

健康を維持するためには大切なことは規則正しい生活習慣を維持して、朗らかにいつも気分よく生活することのようだ。