常楽さんの健康ブログ

健康について考えるブログです。

こんな時は「感動的で面白くて泣ける映画」が見たい!!

「不用不急の外出は出来るだけ避けよう!」と自宅で過ごす時間が増えている。今はほとんどの人々がこのような生活を強いられている。当然のことながら、このような生活を長期間続けていると精神的にだんだん参ってくる。これは私だけでなく日本国すべての人たちも同じ精神的状態だろう。

 

昨日午後9時からBSテレビで竹中直人の「四股踏んじゃった」の映画を見た。可笑しくて久しぶりに声を出して笑ってしまった。おかげで夜も気持ちよく寝ることができた。

 

そこで各テレビ局の方にお願いしたい。                                                   「感動的で面白くて泣ける映画」をどんどん放映して欲しい!!     

 そして、精神的に参りつつある日本中の皆さんに明るい気持ちを届けてほしい。

太極拳があって良かった

最近の新型コロナウイルスの問題が発生してからすべての太極拳教室が閉鎖となり、日常の生活のリズムが壊れてしまい、精神的にも重苦しい気持ちの中で毎日を送っている。

日本だけでなく世界中の人々が同じ気持ちでいるのだろう。一日でも早くこの問題が解決して通常の生活が送れるようになることを祈るのみである。

私は週2回から3回のペースで太極拳教室で太極拳をしていたこともあり、このリズムを崩したくないと思い、自宅で太極拳の音楽を掛けながら太極拳をすることにした。太極拳をしている時は何とも言えないような幸せ感に満たされる。

そして私には太極拳があって良かった」としみじみと感じている今日この頃である。

「呼吸」とは人生そのもの?

呼吸とは吐いて)、吸うと書く。私たちは生まれてきた時母親の子宮の羊水を吐き出して生まれ、最期に息を引き取って死を迎えるという。私たちの人生は正に呼吸という字の通り吐いてスタートし、吸って終わるといえる。

しかしながら、私たちは呼吸とは吸って吐くというイメージが強い。それは昔、子供の頃に公園などでよく聞いていたラジオ体操のあの「吸ってー吐いて―」という掛け声が影響しているのだろうか。

私は自分の太極拳教室では八段錦という呼吸法を伴った気功も行っているが、呼吸とは吐くことであることを力説している。呼吸は自律神経とも関係しており、呼気は副交感神経、吸気は交感神経と関係していることから、吸う息の3倍くらいの時間をかけてゆっくりと出来るだけ長く吐くことで副交感神経が高まり、気持ちも安らいでくることを実感してもらっている。

呼吸とは、無くては生きていけない上に呼気で始まり吸気で終わるという人生そのものを表している。

「(トリニクって何の肉!?)、平成世代は国際化世代?」

毎週火曜日の夜朝日テレビ系で放送されている人気番組で私も毎回楽しみに見ている。平成生まれの男女が表題のような質問に答える番組だが、回答者の中にはびっくりするような珍回答をする人がおり驚かされる。しかし、私がそれ以上に驚いたことは自分の珍回答についてくどくどと解説していることだ。先日、出場された石坂浩二さんも指摘されていたが、私たち昭和世代は余計な弁解は恥ずかしい事のような教育受けてきたこともあり、平成世代のこの弁解している姿を目にする度に驚きと共に考えさせられた。

 私は若い時から仕事で海外の現地法人での勤務が多く、いろいろな国で生活をしてきたが、当時よく感じたことがある。それは現地法人で雇用している現地人だけでなく、いろいろな現地の人と接触する中で決して簡単に「謝らない」ということである。そして、今回の平成世代のように自分の主張を長々と述べるのである。

昔は日本人は簡単に謝り過ぎだという批判もよく耳にしたが、平成世代は国際化世代なのだろうか。

70歳のたしなみ

坂東真理子氏の表題の本を読んでいる。同じ年代の人間として大変心打たれる。そんな中で特に私の関心を引いたのが、68歳で大学院に入学した男性学生について書かれた章である。

私も定年退職を間近にしていた頃、定年後の人生をどう生きるか悩んだ末、2006年の春60歳で大学院への入学を決意した。入学してみると年齢は様々で社会人経験者も何人かいたが、やはり私が先生を含めて最年長者であった。 当初は学生たちとどのように接触したら良いのか戸惑ったが、だんだん話も出来るようになり、私も勉強の楽しみを覚えて夢中で学生生活を送った。そして62歳で修士課程を修了し、博士課程に進学した。上記の本の中にも出てくるが、博士論文は修士論文とは要求されるレベルが違うことを嫌というほど味あわされた。私は太極拳を長くやっていたので、研究テーマは「太極拳の健康効果」と決めていた。東京都と神奈川県下にある太極拳教室にお願いしてデータ取りをさせて頂き、600名以上の方の協力を得ることが出来、そのデータを統計解析した上で論文を作成してアメリカの医学雑誌に投稿するのであるが、これが至難の業であった。博士論文を書くためにはその前提として英語の論文が1本以上必要なのだ。アメリカの医学雑誌から何回もダメ押しされて、気持ちがへし折れそうになりながらも、何とか2本掲載されて2014年春博士号を取得することが出来た。大学院に入学して8年目、68歳の春の事である。今思えば、夢中で過ごした8年間であったが、自分の人生の中でこれほど充実した時はない。懇切丁寧に指導いただいた指導教員の先生をはじめ多くの方々に感謝の思いで一杯である。

現在は太極拳教室を2か所で指導しながら、年に数回太極拳の健康効果について講演をしている。

人生100年時代②

昨年12月に同じ表題で書いたが、もう一度取り上げたい。

6月14-16日までの3日間パシフィコ横浜で第19回日本抗加齢医学会総会が開催されていた。この総会は会員数が8000名を超える非常に大きな学会であり、アンチエイジングに関する多面的な課題についての最新の研究報告が発表される場でもあるため、私も学会員として毎年この総会は楽しみにしている。

今回私の関心を引いたのはやはり認知症に関するテーマであった。人生100年時代という輝かしい未来を想像させるテーマと逆行するかのような認知症患者の増加についての未来像である。平均寿命と健康寿命の差は男性9年強、女性12年強と、ここ10年ほとんど縮小していない。

日光浴不足などによるビタミンD欠乏が原因で乳幼児に「くる病」の増加している課題やスマホ依存による若い人達の間で危惧されている新型頭脳流出など健康寿命に纏わる課題は多い。

単なる「人生100年時代」ではなく「人生健康寿命100年時代」を目指すべきだろう。

ファッション性と美的感覚

私は若い時からジーンズという物を着用したことがない。と言うよりも、むしろ敬遠してきた。その理由としては単純に自分の感性には合わない物だと思っているからだ。

特に最近の若者が着用しているジーンズは全く目を覆いたくなる。膝などのあたりを故意に引き裂いたような状態のまま着用しているのを見るたびに、ファッションとは言えどう理解したら良いのか全く理解に苦しむ。

私は美というものは絶対的なものだと思っている。美しいものは何時の時代でも美しいものであり、普遍的なものであると思う。しかるに、最近の若者が着用しているジーンズはどう評価したら良いのだろう。美しくても美しくなくても関係なく、ただファッションなら良いということだろうか。

街で見かける度になんとも複雑な気持ちになるのは私一人だけなのだろうか。